英語

英語 · 23日 11月 2017
2020年英語が小学校で正式な科目になり、大学入試ではSpeakingを含めた4技能が出題されるようになります。文科省の資料をもとに今後の小中学生が英語をどのように学んでいけばよいかを掘り下げてみようと思います。
英語 · 23日 11月 2017
2020年度から小学校でならう英語の授業が大幅に強化されます。それに先立ち2018年度か先行実施(移行期間)が行われますが、各自治体・各小学校での対応がマチマチになるようです。そのあたりの詳しい情報を述べていきたいと思います。
英語 · 03日 11月 2017
 埼玉大学に受かったのではなく、拾ってもらったと思っています。  大学在学中に、進学塾でバイトを始めます。自分自身が塾に通った経験がないだけに、また、受験で苦労しているだけに新鮮さと魅力を感じました。教育実習で中学校にも行きましたが、僕には塾の方が魅力的な職場に思えました。そして、バイト先の塾にそのまま就職することにしました。その塾では専ら理科と数学を教えます。特に中学入試の算数や理科を教えるのが好きでした。しかし、30歳を過ぎたあたりから、自分の塾を経営したいという思いがふつふつとわいてきて、平成5年の春にお世話になった塾を退職しました。しかし、大問題が発生します。ずばり英語です。僕に英語が教えらるわけがありません。しかし、人を雇うほど資金もありません。そこで、自宅にこもり英語の猛勉強を始めます。高校生の時にこれだけやっていれば、きっと現役で合格していたでしょう。試しに英検2級を受けると難なく合格できたので、これならと思い同年夏に中村塾を開くことになりました。それから25年、今回の英語教育の大変革です。僕も再び英語を学び直すことになりそうです。お話7へつづく
英語 · 03日 11月 2017
僕の家は2年も浪人するほど裕福ではありません。かと言って、就職試験も受けていないので、いきなりどこかの会社に入ることもできません。幸い当時父親が建築関係の自営業をしていたので、その仕事を手伝うことができました。飯田橋か市ヶ谷か忘れましたが、そのあたりの現場で汗びっしょりで働いていると同年代の若者が楽しそうに歩いています。場所からして理科大か法政の学生さんでしょうか。やっぱり、大学に行ってみたいなと思い、おやじに頭を下げて駿台予備校に半年だけ通わせてもらいました。予備校の力もあって、英語以外の教科はよくなってきましたが、英語を含めると志望校判定は惨憺たるものでした。特に何になりたいと決まっていませんでしたので、とりあえず経済系の学部と考えていました。しかし、英語がネックで中々合格しそうな大学はありません。そん中、一筋の光が差し込みます。埼玉大学の教育学部は2次試験の科目が現代国語・数ⅡBとあるではありませんか。これなら何とかいけるかも。しかも、志望者の少ない「技術」ならと、将来の夢やビジョンなど微塵も考えずに、ただ受かりたいという邪な動機で受験します。結果は何とか合格です。お話6へ
英語 · 03日 11月 2017
さて高校生活。楽しかったね。多分人生の中で一番楽しかったかもしれません。今でも当時の友人とよく会っています。(飲んでいます。)勉強も理数科目は割と頑張ったような気がします。しかし、英語はまるで分からないまま。そんな中、水泳部の1つ上の先輩に英語が得意な人がいて、その人の手ほどきで「3単元のs」を習得しました。今の僕が中1の生徒に教えている内容を、高校1年で先輩から教わったのです。中学の授業でおまじないのように「さんたんげんのえす」と先生や友達がいっていた謎がようやく解けたのです。ちなみにその先輩は僕と真逆で理科で赤点をとっていましたが、現役で国立大学へ進んでいます。僕は理数に自信があっても浪人です。英語が受験で如何に重要なのかを浪人して初めて気づかされます。ちなみに、僕は第一回共通一次試験を現役で受験していますが、英語は200点満点中56点、百点換算で28点。数学や理科で稼いでも焼け石に水。まして、3科目の私大はもっと不利。結局どこも受からず浪人です。多くの友人が予備校に通う中、宅浪で臨むも一浪目も撃沈。結局、英語が伸びていないのですね。もう大学は諦めようかと思いはじめ… お話5へ
英語 · 03日 11月 2017
 僕が引っ越した当時の松伏は田んぼだらけののどかな田舎でした。中学での勉強の取り組み方も都心の中学とは違い大変のんびりしていましたが、それが幸いしました。僕みたいに勉強の遅れている奴にはちょうど良いペースだったんでしょうね。あのまま文京5中にいたら、落ちこぼれ間違いなしだったと思います。英語以外の科目は何とかついていくことができました。少しずつですが成績も上がっていき、受験期には学年でも約200人中10番くらいにはいたような記憶があります。しかしです。英語はそんなに甘くありません。ほかの教科は東京の学校と同じでしたが、英語だけは別ものに感じました。教科書が違っていたのも要因でしょうか。英語が苦手なまま、受験を迎えます。当時は1科目40点の200点満点。僕は英語抜きの160満点で勝負するつもりでいました。当然春日部高校は無理、新設から日の浅い北高ではなく越高を受験。今と違って人気が高くなく、倍率がほぼ1倍だったこともあり、松伏中から受けた子は全員合格。(私立は落ちてますよ。巣鴨高校。まあ名門だからしょうがないか。) お話4へ
英語 · 03日 11月 2017
 今思えば何ともないことです[How are you everyone?][I'm fine,thank you.]なんてやりとりだったんだと思います。しかし、そんな約束ごとがあることも教えてもらえず、孤独感と焦燥感に襲われたように記憶しています。(何せ半世紀近い昔のことをおもいだしながら書いているのでちょっと記憶が定かでありません。ごめんなさい。)当時の通信簿は持っていませんので、確かなことは言えませんが、英語の成績で「3」はまず取れていないと思います。「1」はついていないと信じて「2」だったように信じたいです。あくまでも多分ですよ。  今は、中1の子供たちに「be動詞」と「一般動詞」の区別を偉そうに教えていますが、中1の僕は、そんなこと知る由もあらず、ただただ英語の授業の時間が早く過ぎ去ることを祈るばかりでした。でも、学校生活自体は、隣の小学校から来たクラスメイトとも仲良くなり、とても楽しいものでした。 そんな僕に一大事件が起こります。家の裏を流れている神田川を拡張する話は聞いていましたが、いきなり親から引っ越しを告げられたのです。引っ越し先は今住んでいる松伏町です。  話3に続く
英語 · 03日 11月 2017
 次年度の小学5年生から英語が「外国語活動」から「教科」へと格上げされます。それに伴い大変な事態が予想されます。小学生や親御さん、現場の先生方は苦労することになると思います。  さて、今日は僕の英語にまつわるトホホなエピソードを語ろうと思います。  今をさかのぼること四十数年前、僕は小学校の卒業式に参加した後急に体調が悪化、あまりの体のだるさに寝込みました。風邪をひかない健康だけが取り柄の僕にとって衝撃でした。  病名はなんと「水疱瘡」。早生だった僕は半分大人なので、かなり重症化してしまいした。中学に初めて行ったのは、5月の連休明けだったように記憶しています。  僕の通っていた中学は、文京区立第五中学校(現・音羽中)でした。東大の所在地であり、文の京を称するだけあって、入学式直後からハイペースで授業が進んでいました。  今でいう中1ギャップのハードルがかなり高い状態です。勉強は小学校のころから、得意な方ではなかった上に、ハンデを背負ったスタートになり、成績は最下層にあいなりました。 特に英語の時間は焦りました。何せ授業の入り方が他の教科と全く違う。  トホホ話2に続く